鶴見の飛行場

 キ〜ン!!
大正時代、鶴見区には飛行場がなんと3箇所も有ったそうです!
玉井飛行場…大正10(1921)年12月開設。玉井照高氏が自作の飛行機で後輩たちを指導していた。大正12年4月に潮田町が誕生した時には「祝町制施行」のビラをまいた記録もある。大正12年9月の関東大震災後に閉鎖され,その跡地にキリンビールの工場が建設された。

京浜工業地帯の埋立事業の際、浅野総一郎氏は土地が安定するまでの2年間、潮田地区の土地を無料で2つの飛行学校に提供した。
宗里飛行場…大正12(1923)年5月、宗里悦太郎氏が末広町に第一航空学校を開設。宗里飛行場と呼ばれた。飛行機は7機。訓練のほか一般の人も料金15円で横浜上空一周遊覧を楽しめた。宗里飛行場には,日本で2番目の女流飛行家として注目を浴びた19才の木部シゲノもいた。木部は「男装の麗人」と呼ばれ,海軍機で高等飛行も行い,航空界の女性ではただ一人,宝冠章を贈られた。スマートな姿でプロペラの音も勇ましく,大空に銀翼をひる返して飛ぶ勇姿に男性飛行士は見ほれ,プロマイドも売り出されるほどの人気者であった。借地期限の迫った大正15年2月に千葉県船橋に移転して、昭和14(1939)年まで存続した。
片岡飛行場…大正13(1924)年2月に片岡文三郎氏が片岡飛行学校を開設。練習機のほかに偵察機や戦闘機など8機で飛行士の養成をしていた。借地期限の切れた大正15年3月に閉校。

鶴見区HPhttp://www.city.yokohama.jp/me/tsurumi/history/04kai.htmlより引用