鶴見の坂道 その1 滝坂(たきざか)

 

鶴見区岸谷一丁目と神奈川区子安台の境界に狭い坂道があります。山根に沿う旧道と平行してJR東海道、京浜東北線等が通り、坂の上り口付近に滝坂踏切があります。坂を五十メートルほど登った右側に「滝坂不動尊」がありますが(注:現在は港北区に移転したそうです)、これは、行基菩薩の作といわれる不動明王を祀ったもので、元禄時代に建立されたと伝えられています。

  

滝坂不動尊  滝坂不動尊跡?にあった石段

本堂に上る階段の左側に僅か二メートルあまりの高さにある龍口から流れ落ちる滝があり、今は水も枯れていますが、昔は山から湧き出る清水が見事に流れ落ちていました。これが「不動の滝」と呼ばれていたものです。この滝口の前を通る坂道から「滝坂」となったようです。「不動の滝」といえば、江戸時代、不動信仰の盛んなころ、東海道を旅する人たちが立ち寄って滝に打たれるなど、とくに正・五・九の月は賑わったものです。

「鶴見の坂道」より
真福寺山門の「不動の滝」。同形のもの?

また、明治のころまで、石段の右側に樹齢千年を誇る古木がありました。あるとき、地元農民がこのマツの大木をオノで切り倒そうと切りつけたところ、どうしたことか手足が血に染まり真っ赤になってしまいました。よく見るとマツの切り口から血が吹き出している、これは神木の祟りではないかと恐れをなし、お不動様にお詫びして切り倒すのをやめてしまったそうです。そのマツも大正の末ごろには枯れ、むくろだけが残っています。これが「滝坂不動の血噴の松」の伝説です。

この坂は、不動堂の先を右に曲がりさらに左へと曲折しながら生麦中学校の裏手に出ます。左側は子安台公園、登り切った台地は「風早台」といい、昔はマツ林が茂り木々の間からは横浜港の全景を望むことができました。海はすぐ近くまで広がっていて、この台地からの眺めは生麦八景の一つに数えられるほどでした。

坂上からの眺望

この風早台は古代の縄文、弥生時代の石器や骨角器も数多く出土したほか、竪穴式の住居跡も発見されており、ガケからは貝塚が一メートル以上堆積していて、その貝ガラはアサリ、エテボ、ハマグリなどに混ってサザエも多く見られるところから、砂浜ばかりでなく岩礁も近くにあったと思われます。

台地を尾根沿いに北に向う道は、鶴見、神奈川区の境になっており、東寺尾、西寺尾方面に通じる唯一の道でした。いまは国道一号(第二京浜国道)の開通によってこの旧道は切断され通行できなくなりました。国道ができる昭和十二年前後まで、この国道上に「生安橋」という陸橋がありました。昭和七、八年ごろ、岸谷、子安間に開通した道路の上に架けられた木の橋で、今では、幻の橋になってしまっています。滝坂は、生麦の海岸線に開けた町並から、山間の丘陵地帯に入る古くからの間道でしたが、その面影もすっかり失われています。(「鶴見の坂道」より)

旧道跡?生麦中学校脇にある、現在は使用されていない石段

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「鶴見の坂道」探訪 記念すべき第一回に選んだ「滝坂」、なんと坂下から200メートルほどが廃坂になっていました。
 
どうやら、横浜環状北線及び岸谷生麦線の整備に伴って去年の7月に閉鎖となったようです。
工事現場はまるでダムのよう。上は子安台公園。
50メートルほど右手に新設された坂。これが新しい「滝坂」となるのでしょうか?

  • 勾配 -
  • 湾曲 -
  • 風情 -
  • いわれ ☆☆