鶴見の坂道 その10 庚申坂(こうしんざか)

 

横浜商科大学の南側にある、車一台ようやく通れるだけの狭い坂道を庚申坂といっています。国道一号(第二京浜国道)岸谷バス停の裏にある市道と並行して山根が通り、そこから分かれる幅六尺(約一・八メートル)たらずの坂道で、下の方は二股に分かれています。東寺尾四丁目(旧池谷)から三丁目(白幡)に至る唯一の坂道で、十年ほど前、地元の人たちによって庚申塔のある坂という意味からその名がつけられたそうです。この庚申塔横浜商科大学の角地にあり、海抜三十八メートルの高台の十字路に祀られています。小さな祠の中に、足下に邪鬼を踏み、三猿の台石・六臂の青面金剛像で、「宝暦六丙子(一七五六年)十一月十四日の建立。現在、松陰 超宗叟誌」とあり(故持丸輔夫氏の『鶴見の石碑ノート』<未刊行>による)、松蔭寺第十八世の建てたものらしい。二百三十五年も前に建てられたものです。いつも花などが供えられています。

  坂上にある庚申塔

この坂下を昔は「池谷戸」といい、湧水の池がありました。この谷戸には、昔から持丸姓を名のる家が四軒ほどあって、江戸時代の末期、東寺尾村名主、持丸宗左衛門の家がありました。池谷戸の農家の人たちが主に利用した坂道で、台地の畑に出る「野道」でした。この畑で、夏、カボチャを沢山作っていたところ、荷車や肩で担ぎ下ろすのは大変危険な坂でした。そこで、坂道につけられた車のわだちのところだけ掘られているのを利用し、その上を一つ一つカボチャを下まで転がしたといいます。坂の長さは二百メートル近くもあり、急坂をうまく使ったよ、と土地の人が話してくれました。しかし、雨が降れば赤土道で滑りやすく容易ではなかったのです。

この坂を登ったところを左に辿れば、蕃神台を経て神奈川区神之木へ、さらに左に入れば風早台から滝坂に至ります。その道は国道によって切られてしまいました。庚申塔を西に向えば松蔭寺、里見入道堂、西寺尾に至ります。右側、商科大学の前の尾根づたいに二百メートルほど行った辻に、地元信仰の厚い「しばり地蔵」があります。この地蔵は"崩れ地蔵"とも言われるほど風化し、顔容もないが腰などには縄や紐がまかれています。腰痛の人は腰に、肩の痛む人は肩にと病めるところを縄など縛りつけ念ずれば治るというのです。素朴な信仰から「しばり地蔵」となったそうです。毎年彼岸の二十四日、三谷(池谷、飯山、荒立)の信者が供花、線香をあげ、祀ったといわれています。今は、この庚申塔と狭い坂道のみ原形をとどめていますが、周囲はマンションと学園の町に変ぼうしてしまいました。(「鶴見の坂道」より)

 滝坂へ至る旧道跡?
  しばり地蔵

  • 勾配 ☆☆☆
  • 湾曲
  • 風情 ☆☆
  • いわれ ☆☆