鶴見の坂道 その11 弁天坂(べんてんざか)

 

国道一号(第二京浜国道)飯山交差点付近に、この国道が開設された昭和十二年ごろまで、横浜商科大学正門前に至る旧道の長い坂道がありました。この坂を土地の人たちは「弁天坂」と呼んでいたそうです。いまは幻の坂になっていますが、現在、国道沿いにある「藤和シティコープ」マンションの辺りがそれで、その脇に新しい坂道もできています。

 藤和シティコープ

この弁天坂の起りについては、現在岸谷の安養寺正門左側に祀られている「岸谷弁財天」が、その昔、この坂の途中に祀られていたことから来ているそうです。この弁財天は、弘法大師の作と伝えられ、本尊はもと近江(滋賀県)の国、琵琶湖のある竹生島の弁財天と同木で作られたと伝えられています。弁財天像の祠に掛けられている幕には、元禄十四年(一七○一)の奉納と記されています。当時、安養寺領であった飯山付近の山にお堂があって「神久保弁財天」と呼んでいたそうです。坂の名も「神久保坂」といわれ、伝えによれば、江戸時代、この弁天様、土地の人たちの信仰が大変厚く、巳の日に祭事を行っていました。悪病、魔除けなどを、祈願する人たちが近隣各地から訪れていたそうです。今から二百年ほど前、文化六年(一八○九)にお堂の破損がひどくなって、後に今の安養寺前に移されました。移転後は「岸谷弁財天」、岸の弁天様と愛称され有名になり、江戸時代、東海道を往来する人たちは回り道をしながら参詣に訪れたそうです。

 岸谷弁財天

この坂の登り口付近、現在の岸谷二丁目バス停辺りには、道路をはさんで「岸谷の二ツ池」、泉池と新池があり、この道を谷戸に入ったところが飯山谷戸で農家が二十戸近く点在していました。この池の前から登り坂になっており、坂の上段は海抜三十八メートルもあり、マツ林の間を長い坂道が続き、登り切ったところの台地は広い畑になっていました。畑を横切ったところ(現在の横浜商科大学)で道は左右に分かれ、右に曲ると山すそに沿って下り坂、白幡谷戸を経て馬場村へ、マツ林の尾根沿いに右に行けば白幡神社方向に至る間道でした。左の尾根道は神奈川の神の木、西寺尾村へと続く細い道、庚申塔のところを右に曲る山道(現在のキリンビール西寺尾社宅)、尾根道に沿って西に行くと松蔭寺、里見入道尊へと至ります。この道は、鶴見と神奈川区との境。戦前まで栄えていた「お入道様」の縁日、五月一日には生麦、岸谷方面の人たち大勢が、列をなして坂を登り、家一軒無い寂しい山道を歩いてお詣りに訪れて行きました。昭和七〜八年ごろ、区画整理事業と道路整備事業によって現在のバス通りが開通するまで、この弁天坂は重要な街道でした。新道の開通と国道工事によって昔の坂道は影も形も無くなり近在の人たちだけが知る幻の坂になってしまいました。(「鶴見の坂道」より)

 「鶴見の坂道」より

  • 勾配
  • 湾曲
  • 風情
  • いわれ ☆☆