鶴見の坂道 その12 新坂(にいざか)

 

県道、鶴見・溝ノ口線、市バス宝泉寺停留所下車、五十メートルほど南に進み、宮の下十字路を右に曲るともう坂の入口です。ゆるやかな坂道を少し歩くと右側に古い寺格を偲ばせる曹洞宗長谷山宝泉寺の立派な山門があります。宝泉寺は、小田原北条氏の家臣でこの地域の領主、川崎城主であった間宮新左衛門信冬が開基となって永正元年(一五○四)に建立されたものだそうです。寺域内には古い石仏や道標などが多数残されています。

 宝泉寺

山門から三十メートルほど進むと道は三叉路となり、中央上手に正一位丸山稲荷大明神の祠があります。元々は宝泉寺の守護神として同寺で祀っていたということです。現在、この稲荷社の上の方は広大な日本鋼管経営研修所(平成20年4月30日閉館)の建物がありますが、以前はカシやナラ・タボの木などが山一面を覆っていました。当時はこの稲荷社の横に綺麗な清水が滾々と湧き出ていて、誰かがこの長い坂を登り下りする人たちのために、清水の流れ出し口に竹筒を備えていたそうです。

 丸山稲荷社

坂は日本鋼管の前を真直ぐに登り、丘の稜線を通る旧道(川崎道)に接続します。ここから丘の向う側に真直ぐ下りると三ッ池公園正門に達します。元来、この坂道は鋼管研修所の正門辺りから右斜めに折れ、山の尾根を屈折しながら頂上(五差路)に続いていたのを、大正末期に鶴見耕地整理組合によって、現在のように道幅を広げ、真直ぐに整理されたので、新しい住民たちは「新坂」(にいざか または しんざか)と呼んで旧い坂と区別していますが、地域の古老たちの中には「宝泉寺坂」と呼ぶ人もいます。また、古老の話によれば、この坂道は遠く室町時代(一三九ニ〜一五七三)から利用された古道で、ここから鶴見川べりに出て作橋を渡り元宮の八本松の所を通って川崎に行っていたようです。宝泉寺の前の丘の東端付近には下末吉村の鎮守愛宕神社が鎮座、昭和になって下末吉別所の熊野神社も合祀されました。境内には三基の立派な庚申塔などもあり、毎年七月十七日には伝統の湯花神事が奉納されます。(「鶴見の坂道」より)

  • 勾配 ☆☆☆
  • 湾曲
  • 風情 ☆☆
  • いわれ