鶴見名所巡り その43 生麦魚河岸通り

  

徳川幕府以来、御菜八ケ浦のひとつとして、江戸城に菜・肴を定期的に献上していました。文政11年には、生麦村242軒の内60軒が漁業に従事していました。明治中期には、ノリと貝の養殖が中心となりましたが、明治末頃から始まった海岸の埋立で漁業は衰退し、昭和46年に漁業は完全に消滅しました。昭和30年代に魚介類を商う店が増え現在の姿になりました。(鶴見みどころ80より)

写真は大晦日の様子。定食屋さんで生麦丼(ウニ・カニイクラ入り)を食べました!
オススメ度…☆☆☆ 普段も一般客でも買物が出来ます。