鶴見名所巡り

鶴見名所巡り その77 東福寺

真言宗智山派。寛治元年(1087)醍醐寺の勝覚僧正の開創と伝えられています。本尊は子育観音で知られる如意輪観音で、子年毎に開帳されています。江戸時代には参詣者が多く、門前では子育てまんじゅうが売られ、鶴見名物の一つに数えられていました。墓域に…

鶴見名所巡り その76 總持寺

曹洞宗大本山總持寺。もとは石川県にありましたが、明治44年11月5日に鶴見の二見が丘に移転しました。昭和40年に本山最大の建造物の大祖堂が、同44年には三門が竣成して、文字どおり七堂伽藍がそなわり、今日みる鶴見の象徴ともいえる存在となっています。(…

鶴見名所巡り その75 白幡神社

古くは白幡大明神と称し、寺尾四ヵ村の鎮守で、応神天皇を祭神。馬場町建功寺の旧記によると「白幡大明神は足利尊氏将軍なり、尊氏将軍より十七代目足利利義将軍代、永享7年寺尾城主諏訪勧請す」とあります。また棟札によれば、貞享4年、享保12年等に社殿を…

鶴見名所巡り その74 寳泉寺

曹洞宗。寺はこの地方の領主であり、当時川崎城主であった間宮新左衛門信冬が開基となって永正元年(1584)に建立された寺です。徳川家康関東に入国の後、寺領三十石を寄進され、住職他出の際は大名の格式で道中の往来を許されました。この寺は昔から度々の…

鶴見名所巡り その73 歴史と緑の散歩道

兜塚から緑の多い丘陵の尾根伝いに上の宮に至る4.5kmの散策路。昭和57年に鶴見区役所、鶴見歴史の会によって整備されました。コースには13基の道標が設置されています。コース沿いには、古代の遺跡が多くあり、この道は中世の「鎌倉街道下の道」であったとも…

鶴見名所巡り その72 横浜ベイブリッジ・スカイウォーク

〈横浜ベイブリッジ〉平成元年に首都高速湾岸線の一環として開通。上下2層構造で下段道路は平成16年に開通し一般に開放されています。〈スカイウォーク〉海上55mの上空にある片道320mの海上遊歩道。先端は360度の眺望が楽しめる空中展望台、そこから眺める風…

鶴見名所巡り その71 兜塚・ふれあい樹林

約500年前、大田道灌がかなたの加瀬の山で一夜の夢を見て自分の兜を埋めた伝説の石碑があります。昭和6年兜塚一帯の山林が「南北朝時代の天皇陵である」との説をきっかけに、昭和13年に発掘調査したところ、古墳時代の出土品のほか、弥生・縄文時代の遺構を…

鶴見名所巡り その70 二ツ池

獅子ヶ谷と駒岡の境にあり、古くから灌漑用溜池として獅子ヶ谷村と駒岡村の田畑を潤してきました。池は慶長年間(1596〜1615)に作られたといわれ元はひとつでしたが100年ほど後、二つの村に水を均等に分けるために池の真中に堤を作り村境としました。堤は生…

鶴見名所巡り その68 常倫寺・駒岡不動尊

曹洞宗。天文11年(1542)の草創とつたえられています。元禄6年(1693)小田切土佐守直利が梵鐘を寄進しています。宝永4年(1707)久志本左京亮常勝が駒岡村を知行しています。本堂背後の山腹に、旗本久志本氏歴代の墓所(横浜市登録文化財)があり、また境…

鶴見名所巡り その69 馬場赤門

[ 江戸時代末期に周辺四ヵ村(東寺尾、北寺尾、西寺尾、馬場)の総代名主を務め名字帯刀をゆるされた澤野家の門。幕府から特に紅殻塗りを許された格式の高い名主門でその色から赤門と云われています。この門は、安政年間に建てられたものですが、平成3年に復…

鶴見名所巡り その66 おきなわ物産センター

仲通商店街にあり、沖縄で根づいた物、作られた物を各種販売しています。3階には沖縄出身者のための会館があり、会合や沖縄民謡・舞踊の練習などがおこなわれ、地域の人達との交流の場としています。仲通商店街には沖縄の食堂や食材・食品を売る店が多くあり…

鶴見名所巡り その67 上台遺跡・上台北遺跡

〈上台遺跡〉宝泉寺台貝塚とも呼ばれています。縄文前期の貝塚ですが、弥生時代の住居址が多数発見されています。末吉中学校に、近辺の遺跡の出土品が陳列されています。〈上台北遺跡〉弥生時代の遺跡です。遺跡の周辺には縄文時代から古墳時代までの著名な…

鶴見名所巡り その64 良忠寺

浄土宗。仁治元年(1240)の創立と伝えられ、鎌倉材木座光明寺を開いた記主禅師良忠上人を開山としています。境内には伝説で有名な弘法大師の作といわれる身代わり地蔵や新田義興の矢を止めた矢止めの地蔵があります。また、明治〜昭和の初めに矢向にあった…

鶴見名所巡り その65 宗泉寺

浄土宗。開山は正保年間。下って寛文年中に、北寺尾村名主市右衛門が二十一世を迎えて再興しました。境内には念仏供養塔、無縁供養塔、地蔵菩薩、庚申塔、馬頭観音があります。また、春にはエビネ、しだれ桜、サツキ、ボタンなど四季折々の花が楽しめる庭園…

鶴見名所巡り その62 理化学研究所「横浜研究所」・横浜市立大学連携大学院

〈理化学研究所横浜研究所〉ゲノム・遺伝子・免疫など、ヒトや動植物の様々な生命現象を、世界最先端の科学技術により解明する、ライフサイエンスの総合研究所です。〈横浜市立大学連携大学院〉理化学研究所との連携大学院として、分子・原子レベルから様々…

鶴見名所巡り その63 鶴見川橋・リバーサイドガーデン

鶴見区内で、江戸時代から鶴見川に架かっていた三つの橋のうちの一つ。幾度か架け換えられています。現在の橋は、平成8年12月に竣工しました。江戸時代より大正15年(1926)まで「鶴見橋」と呼ばれていましたが、京浜第一国道の開通により「鶴見川橋」と改称…

鶴見名所巡り その60 上の宮 八幡神社

創建年代は不詳ですが、祭神は応神天皇で、昔境内に牛頭天王の小祠が祠られ、古い伝説と習俗が伝えられています。7月15日には、牛頭天王祭が執り行われています。毎年1月14日には無病息災、五穀豊穣を祈願して「どんど焼」が行われており、区内では珍しい行…

鶴見名所巡り その61 獅子ヶ谷横溝屋敷

横溝屋敷は表門(長屋門)主屋などの屋敷構えが江戸時代の農村生活の原風景を残している貴重な文化遺産です。古民家の保存と活用を図る横浜市最初の施設で、昭和63年横浜市指定文化財になりました。2階の展示室には明和の村絵図や農村文化、行事等々の資料が…

鶴見名所巡り その58 県立三ツ池公園

鶴見川は満潮時には塩分を含んだ海水が小机付近まで逆流し、右岸側の駒岡・末吉・生麦の村々は鶴見川の水を田畑の用水に使えませんでした。そのため、村々は灌漑用水池を作りました。三ツ池もそのうちのひとつです。昭和25年から緑地整備事業がなされ、昭和3…

鶴見名所巡り その59 森永製菓(株)鶴見工場

森永製菓の主力工場で、82年前の大正14年(1925)にできました。第一次世界大戦後、お菓子の需要が急速に伸びたことから、既存の2工場では生産が間に合わず、兵庫県塚口と鶴見に新鋭の製菓工場を建設しました。工場完成後、同工場では工場緑化を心がけ、敷地…

鶴見名所巡り その56 小野弁天神社と小野重行像

徳川五代将軍綱吉公の頃、塩害を防ぐ堤防を築こうとしましたが、難工事で再三失敗し、甲斐武田一族の小野氏が日頃信仰する江ノ島弁財天の御加護により工事は順調に進行したと由緒にあります。大正に入り小野重行は、この地域の開発と発展に努めるとともに、…

鶴見名所巡り その57 寳藏院

真言宗智山派。慶安2年の古文書により、鎌倉時代以前に草庵されたものと推定されている。境内には源平五色の椿があって、全国で唯一の五色に咲き分けの椿の名木で、樹齢は600年以上、県の名木百選に選定されている。本堂真裏には霊泉があって、一年中涸れる…

鶴見名所巡り その54 東寺尾ふれあい樹林

所有者の好意により提供されている樹林です。地元の「東寺尾第一どんぐりの会」が管理しています。雑木林の中で自然とのふれあい、近くを流れる入江川のせせらぎ含め都会の中のオアシスです。(鶴見みどころ80より) どんぐりころころ♪ オススメ度…☆☆☆ 広々と…

鶴見名所巡り その55 ふれーゆ

資源循環局の余熱を有効利用した、温水プール及び大浴場を中心に大広間、ホール、レストラン、熱帯植物園などを備えた施設です。平成8年(1996)に横浜市初の高齢者保養研修施設(若年者も利用できる)として開館しました。ふれーゆの名は、“ふれあいと温か…

鶴見名所巡り その52 響橋

昭和16年(1941)竣工。鉄筋コンクリート固定アーチ橋。長さ48m、アーチの高さ約13m。橋下の音が反響したので響橋となりました。“かながわの橋100選”の一つ。昭和15年に東京で実施が予定されていたオリンピックのマラソンコース折り返し点に予定されていまし…

鶴見名所巡り その53 瓢箪山遺跡

明治40年山腹を崩す工事中に見つかった2メートルほどの穴で、穴の中は10畳ほどの広さであり学術調査により須恵器、玉類、直刀がみつかり、付近の人たちは何かご利益があるお穴様だということで、各地から参詣者が集まるようになりました。その盛況は長く続か…

鶴見名所巡り その50 馬場花木園

平成11年に開園した市内ではめずらしい和風庭園。以前は、ボタン・菖蒲などが楽しめる農園として親しまれてました。今では、池の周りを中心に四季折々に表情を変える花々・樹木を楽しむことができます。また水鳥の遊ぶ姿も見られゆったりとした気分になりま…

鶴見名所巡り その51 日枝神社

寛永15年(1638)の創建で、古くは山王社といい、矢向村、市場村など七ヵ村の鎮守で、天保末年になって矢向一村の鎮守となり、明治6年日枝神社と改称。境内に豊遊石と刻んだ大石があり、社殿には勝海舟揮毫の「日枝神社」の扁額。また、元禄4年ごろ始められ…

鶴見名所巡り その48 箱根駅伝記念像

平成9年(1997)に鶴見区制70周年を記念して作られました。タイトルは『明日へ走る』。作者は垣内治雄(1931〜)で、日本丸メモリアルパークにもブロンズ像があります。往路の1区と2区、復路の9区と10区の中継ポイントが鶴見市場の「鶴見中継所」。駅伝のた…

鶴見名所巡り その49 馬場稲荷

寺尾城址の西斜面にある稲荷社で、昔は寺尾稲荷と呼ばれていました。寺尾城主の諏訪馬之助は馬術が不得意でしたが、この稲荷に日夜祈願したところ大願成就したので、馬上安全、馬術上達の祈願に江戸をはじめ、各地から参詣が多かったようです。旧東海道鶴見…