十三人の刺客 感想


宇多丸が三池崇史監督によるリメイク版「十三人の刺客」を激賞

2010年公開。
50本(!)以上の映画を作っている三池崇史監督ですが、実はちゃんと観たのはこの作品が初めて(TV放送した「ヤッターマン」は開始5分で挫折しました…)。
評判通り、とにかく面白かったです。
そして、日本映画でもいわゆる「娯楽アクション大作」が観れるんだなと、なんだか嬉しくなりました。
多くの方たちが絶賛する稲垣吾郎をはじめ役者陣も素晴らしく、スローや早回しなどの今時の手法に頼らずに、時代劇としてオーソドックスなアクションで魅せてくれたクライマックスにも好感を持ちました。

「娯楽」映画に、あまり細かいツッこみを入れるのは無粋な事は重々承知ですが、私自身何箇所か引っかかったところの自分なりの解釈や要望などを書きたいと思います。

  • なぜ刺客たちは上手くいっていた作戦を捨て、いきなり無謀な斬り合いに挑んだか

他所の感想サイトなどを読むと、「彼らは侍だから、やはり最後は正々堂々と戦いたいと思ったからだ」という意見がありました。しかしそれだと肝心の松平斉韶稲垣吾郎)を弓矢で射殺そうとするのがおかしくなってしまいますので、ここは予想以上の人数の敵が現れた為、用意していた矢などの飛び道具を使い切ってしまい刀での戦いに突入するという風にすれば納得度が上がったのにと思いました。

  • 戦いが終わった後、死んだはずの小弥太(伊勢谷友介)が出てくるのはなぜか

刺客達の中でも特異なキャラクターである小弥太岸部一徳とのシーンは余計だと批判する方もいらっしゃるようですが 、私はシリアスな展開の中でのコメディリリーフ的な役回りとともに、侍ではないものの象徴・超越的な存在として良いアクセントになっていたと思います。さて、問題のシーンですが、ノベライズでは彼は幽霊だったと匂わせる記述が出てくるそうです。でもそれだと映画では分かりづらいので、首の傷だけ追加して「不死身の男」「異常に生命力の強い男」として描けば良かったのではと思いました(棒で殴ってもビクともしないという前フリもありましたしね)。

新六郎山田孝之)の恋人・お艶と山の女ウパシを演じた彼女。同じくノベライズでは小弥太から「いい女」だと聞いた新六郎が自分の恋人を想像したから同じ顔だという記述があるそうですが、映画では明らかに小弥太の回想シーンで登場するのでこの解釈は苦しい(笑。小弥太も生きていたとすれば、「勝利の女神」的な象徴とも取れますが、ここは素直に違う二人の女優を使えば良かったのでは?