幕末の外国人殺傷事件

生麦事件発生当時の写真
本日の「鶴見名所巡り」生麦事件に係わる場所だったので関連した話題を。
歴史の授業で開国当時多くの外国人殺傷事件が起きたと学んだが、
実際に記憶に残っているのは「生麦事件」と「ヒュースケン暗殺」位だった。
他にどんな事件が起こったのか気になり、この機会に調べてみた。

  • 1859年7月27日 ロシア海軍士官モフェト、水兵ソコロフが横浜(中区)で日本人数名の襲撃を受け死亡。
  • 同年10月11日 フランス領事代理雇い人の清国人、港崎町(現在の横浜スタジアム付近)外で水戸天狗党ら2名の武士に襲われ死亡。
  • 1860年1月7日 イギリス公使館付通訳の伝吉が公使館である東禅寺(港区高輪)門前で何者かに殺害される。
  • 同年2月5日 横浜の街路上(中区)で、オランダ船長デ・ヴォスとデッケル暗殺される。
  • 1861年12月5日 米国公使館通訳のヒュースケン、中ノ橋付近(港区東麻布)で薩摩藩士に暗殺される。
  • 1862年5月29日 イギリス公使館東禅寺警備中の松本藩士がイギリス兵2名を斬殺。(第二次東禅寺事件)
  • 同年8月21日 生麦事件
  • 1863年9月2日 武蔵国久良岐郡井土ヶ谷(南区井土ヶ谷下町)で、フランス陸軍将校カミュが浪士3名に殺害される。(井土ヶ谷事件)
  • 1864年10月22日 イギリス士官ボールドウィンとバードの2名が鎌倉で二人組の浪人に斬殺される。(鎌倉事件)
  • 1867年7月6日 長崎でイギリス水夫ホッチングとフォードの2人が泥酔して花街・丸山の路上に寝ているところを福岡藩士に殺害される。(イカルス号事件)
  • 1868年 堺港でフランス人水兵が土佐藩兵に襲撃され11名が死亡(堺事件)。

上に挙げたのは、武士が犯人と思われる殺人事件だけで、
その他、民間人との乱闘の上の殺人、死には至らなかったものの重傷を負った事件、拉致事件なども起こっている。
この国でも100年ちょっと前には、現代の中東のような状況だったのだ。
生麦事件の被害者リチャードソンはじめ、上の事件の被害者の何人かは、現在も横浜市中区の外国人墓地で眠っている。

幕末異人殺傷録

幕末異人殺傷録